親の収入と学歴による格差は比例するというデータがあります。大卒家庭と非大卒家庭の間には文化の違いもあり、大卒家庭は大学のメリットを知っています。大卒は大卒同士、非大卒は非大卒同士で違う文化で生きているのです。
高卒親から大卒子供を増やせば分断は解消するように思えますが、現実には大学に入学定員があり、大卒人口が今後大きく増える見込みはありません。これから先の将来で、学歴による分断はどのように解消すれば良いのでしょうか。
「一億総中流社会」の終焉と共に、学歴分断が鮮明に
日本は一昔前には「一億総中流社会」と謳われていました。
誰もが企業の正規の労働者となり、年収に多少の違いはありますが、中卒も高卒も専門・短大卒も大卒も院卒も、建前上は学歴で分断されることはなく、年功序列制で経済成長に伴って皆暮らしが良くなり、皆が同じ社会で生きているという空気が日本にはありました。
だが今はそう見ている人はいなくなり、社会は大きく変わっているように思います。
社会における「学歴」の意味とは何であるのか?
「大卒」という学歴に社会的な大きな意味は無く、「高卒」は社会の現場で活躍しており、レベルの低い大学を卒業するくらいならば高卒で企業の叩き上げの方が良い、というような風潮が自分の身の回りにはあります。実際には、社会の大勢はどう見ているのか知りたいと思っています。
大卒と高卒が最大の分断というテーマが、自分の今置かれている状況では特に興味を引きます。分断によって起こる日本社会が抱える最大のリスクを知っておきたいと思いました。
「進学」に対する意識の違いが生み出す「学歴」の格差
とある公立高校の話で、その学校は進学校ではなく、進学と就職が半々で分かれるそうです。四年制大学に進学する者はごく少数なのだそうです。その高校に通う生徒もその親も、進学については単にお金と時間を失うだけという意識なのです。
その生徒、親、親族には大学に進学した経験が無く、自由な四年間を知らず、詰め込み教育の高校の延長と思い込んでいるのです。進学校の親はほぼ大卒であるのに対して、そのような公立高校に通う生徒の親は高卒が多いのです。
環境や家庭という現実があり、今後も分断を跨いだ階層の移動はなかなか積極的に起らないのではないかと思えてなりません。
(写真はイメージであり、本文とは関係ありません。)